コードウェイナー・スミス『ノーストリリア』の結末までを解説しながら、『銀河ねこみみ姫ものがたり』との類似点と、いや似てる似てると言ってる場合ではない決定的な違いについて考える、全面ネタバレ書評です。

最終更新:2026年7月27日

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※この記事は、コードウェイナー・スミス『ノーストリリア』の結末を含む、全面的なネタバレ解説です。

本作は、コードウェイナー・スミスの〈人類補完機構〉シリーズに連なる一冊で、「昔、ひとりの少年が地球を買った」と、冒頭でだいたい結末を言ってしまう小説です。

作者自身が、筋を隠して読者をびっくりさせるよりも、「どうしてそんなことになったのか」、あと、その途中でどんな羊やコンピューターや猫娘が出てくるのかを味わわせる書き方を選んでいます。

羊?

はい。巨大な病気の羊です。

まあそれはおいおい説明するとして、この記事では作品の主題について語るため、最後まで解説します。まだ物語の細部を自分で辿りたい方は、先に本編を読んでください。そのあと戻ってきてもらえたら、うれしいです。

ねこみみ姫

「こはたん。わらわ、とんでもないものを見つけてしまったのじゃ」

コハク姫こと、こはたん
コハク

「はい姫さま。……また『うちの帝国に似ている古典』を見つけた顔をなさっていますね」

ねこみみ姫

「今回は本物じゃ。半世紀前の宇宙帝国に、猫耳の姫がおった」

コハク姫こと、こはたん
コハク

「では記録します。でも、似ていると言い張る前に、どこがどう似ているのか、最後まで筋を通してくださいね」

「昔、ひとりの少年が地球を買った」

『ノーストリリア』は、ほとんど結末まで語ってしまうような一文から始まります。

少年は地球を買い、地球へ旅をし、冒険の末に自分が本当に欲しかったものを手に入れて、故郷へ帰る。

筋だけ取り出せば、びっくりするほど単純である。

でも、その「途中」に詰め込まれているのが、不老不死の薬、巨大な病気の羊、テレパシー、惑星間金融取引、人間から差別される動物由来の亜人、何千年もの歴史を背負った統治機構、そして猫から作られた美しい少女なのである。

なんだこの全部盛り宇宙昔話は。

そして読み終えて、わらわは思った。

これ、ずいぶん『銀河ねこみみ姫ものがたり』に近くないか。

……で、ここで正直に白状しておく。

わらわ、宇宙帝国をパクっ……いや、参照……いや待て、『ノーストリリア』は半世紀前じゃ。わらわのほうが後発ではないか。つまりパクったとしたらわらわのほうなのじゃが、

……あっ。

待て。

わらわ、内容はすっかり忘れておったが、これ、読んだことあるのじゃ! 昔! 確実に!

つまり、この銀河ねこみみ帝国、そもそも『ノーストリリア』の影響を受けている可能性が……

コハク姫こと、こはたん
コハク

「姫さま。あまりメタ視点を持ち込まれますと、このウェブサイト自体が崩壊しますのでお控えください」

ねこみみ姫

「し、しかし影響の出どころが判明したのじゃぞ。学術的誠実さとして」

コハク姫こと、こはたん
コハク

「では『影響を受けたことを、受けた本人が忘れていた』と記録しておきます。いちばん厄介な影響の受け方ですね」

ねこみみ姫

「うるさいのじゃ。続きを書くぞ」

もちろん物語の筋が似ているわけではないし、設定をそのまま借りたわけでもありません。本当に。念のため。

でも、忘れているだけかもしれぬ。

荒唐無稽な宇宙設定を昔話みたいな口調で語って、その真ん中に猫耳の少女と「人間とは何か」なんていう、かわいくない問題を置いてしまう。そこには、なんか同じ種類のSF的欲望がある気がするのじゃ。

宇宙の話はやたら大きい。でも、本人が欲しがっているものは案外すぐそばにある。

その両方を同じ画面に押し込めたくなる感じが、どうも、我が帝国と遠い親戚のように思えてならないのである。

宇宙一の金持ちなのに、昔の牧羊農家みたいに暮らす人々

主人公ロッド・マクバンは、惑星ノーストリリアの少年です。

ノーストリリアは、銀河で唯一、不老不死の薬〈ストルーン〉を生産できる惑星である。

あと、ストルーンは巨大化した病気の羊から採取されます。

なんで?

いや、なんでと言われても、採れるものは採れるのである。

そのためノーストリリア人は、名目上は銀河一の富豪です。ところが彼らは、その富をほとんど使わない。高い税金と厳格な社会制度によって、古いオーストラリアの牧羊農家のような質素な暮らしを守っている。豊かさによって人間が軟弱になることを、彼らは恐れているのです。(EBSCOの解説)

ここですでに、普通の未来社会とは方向が逆なのじゃ。

科学が進歩したら、暮らしも未来っぽく便利になると思うじゃないですか。でも『ノーストリリア』では、人々はテレパシーで話し、宇宙船を使い、不老不死の薬まで作るくせに、土地とか血統とか家名をものすごく重んじる。

主人公の正式名も、

ロデリック・フレドリック・ロナルド・アーノルド・ウィリアム・マッカーサー・マクバン一五一世

である。

長い。

未来の話なのに、やたら古い。テクノロジーは超一流のくせに、やってることは血統だの家名だのと、だいたい田舎の地主なのである。銀河文明を名乗っておいて、中身がほぼ牧場の寄り合い。

……こう書いていて気づいたのじゃが、これ、わらわの帝国の説明でもだいたい通るな?

宇宙艦隊が飛んでいるのに陰陽寮が現役。古代ねこみみ文明の遺伝因子がどうとか宇宙パラメータがどうとか言いながら、姫や後宮や安倍晴明が宮廷に出入りしている。

自分で言っておいて、ずいぶんな話である。

でも、人間は科学が進歩したからといって、まるごと新品に入れ替わるわけではない。宇宙船に乗れるようになったからといって親戚づきあいが消えるわけでも、遺産相続でもめなくなるわけでもないのじゃ。

むしろ遺伝子を操作できるようになったら、名門の血筋にこだわる人たちは今より面倒なことを始めるかもしれない。

「では、その遺伝子技術で一族の血統をもっと厳密に管理しよう」とか。

やめろ。

でもやりそう。人類なので。

未来の技術が古い制度を壊すのではなく、古い制度のほうが未来の技術を飲み込んで、しぶとく生き残ってしまう。『ノーストリリア』の未来が妙にほんものっぽいのは、そこなのだと思う。

生きる資格を審査される少年

ロッドには、ノーストリリア人なら普通に使えるはずのテレパシー能力に障害があります。

ノーストリリアでは十六歳になると、社会に必要な人間かどうかを審査され、不適格と判断された者は安楽死させられる。

ロッドは審査を避けるため、記憶を消されて十六年間の人生を三度やり直している。肉体的には十六歳だけれど、実際には四度目の少年時代を生きているので、積み重ねた年齢は六十四歳に近い。(Strange at Ecbatanの書評)

でも、彼の能力は、単に壊れているわけではなかった。

普通のテレパシー会話はうまくできないのに、広い範囲にいる人々の心を聞き取ったり、強烈な感情を周囲へ放射したりできる。

みんなと同じ使い方ができないので無価値とされたものが、条件が変わると、「その変な能力にしかできないこと」を持ち始めるのじゃ。

この構造は、『銀河ねこみみ姫ものがたり』の宇宙パラメータ感応にも少し似ている。

(似ている、と言うたびに胃が痛むのじゃが、事実なので言う。)

本人にも制御しきれず、何の役に立つのか最初は分からない。でも、その人物にしか聞こえない宇宙の異常がある。

能力というものは、本人の中だけで価値が決まるわけではない。どんな社会に置かれるか、誰が意味を見つけるか、あと、何に利用されるかによって、障害と言われたり才能になったり、下手をすると兵器になったりする。

ロッドの審査を通過させた統治者レッドレディ卿は、彼の異常な能力を、ノーストリリアを守る力として読み替えます。

ロッド自身は、さっきからずっと同じロッドである。

でも、見る側と置かれた状況が変わっただけで、「処分されるかもしれない欠陥」が「惑星を救うかもしれない力」になってしまう。

価値とは。社会とは。こわ。

少年はなぜ地球を買ったのか

審査を通過したロッドは、これで無事に大人になれるはずでした。

ところが、かつての知人で政府高官となったホートン・サイムが、ロッドを殺そうとする。

サイムはストルーンを服用できない体質で、不老の社会にいながら、自分だけが普通の寿命で死ななければならない。その恨みがロッドへの敵意となっている。

ロッドは、農場に隠されていた古い戦闘用コンピューターと相談します。

このコンピューターがまた、たいへんよい。

ただ命令を実行する機械ではなく、長い年月を生き、少年の教師となり、家族の秘密を知り、人間よりも世慣れた人格を持っている。

こういうコンピューター、ください。

そしてロッドとコンピューターは、ストルーン市場に介入する。その結果、ロッドは銀河一の富豪になり、とうとう地球の大部分を買ってしまう。

金融で地球を買うな。

いや買った。

でも、ロッドは地球を支配したかったわけでも、惑星を買うほどのお金で豪華に暮らしたかったわけでもない。

たぶん、自分が生きるか死ぬかを、もう他人に勝手に決められないくらいの力が欲しかったのだ。

「地球を買った少年」と聞くと、ものすごく巨大な成功物語に見える。でもロッドの望みは、生きたいとか、家に帰りたいとか、好きな相手と暮らしたいとか、わりと卑近なものばかりです。

宇宙一の金持ちになった少年が最後に欲しがっているのが、帝国でも名誉でもなく、なんか普通の暮らしなのがいい。

わらわは、ここでロッドのことが本当に好きになった。

かっこいい大義があるわけでもないし、派手な夢を掲げるわけでもない。ただ、生きて、帰って、好きな人と暮らしたい。そういう欲望を恥ずかしがらずに物語の真ん中へ置いているところを、わらわは信用する。

『銀河ねこみみ姫ものがたり』も、帝国の運命だの古代文明の秘密だの、ずいぶん大きなものが出てきます。でも、その真ん中にあるのは、姫が自分の居場所を見つけたいとか、誰かを家族として迎えたいとか、捨てられたくないとか、帰ってきてもよいと言ってほしいとか、だいたいそういうことである。

たぶん、わらわは居場所の話を書きたいのだと思う。

いや、宇宙の話も書きたい。

宇宙艦隊は飛ばしたいし、巨大な旗艦まほろばも必要です。居場所の話だからといって宇宙船を減らす理由にはならぬ。むしろ居場所を守るために旗艦が要る。要るのです。

ロッドの莫大な財産も惑星の所有権も、その小さな望みを守ろうとしたら発生してしまった、過剰すぎる副産物なのかもしれません。

猫娘ク・メルと、動物から作られた人々

地球に渡ったロッドは、敵の目を欺くため、猫から作られた亜人〈猫人〉の姿に改造されます。

そして、猫由来の少女ク・メルと偽装夫婦になる。

猫人の少年と猫娘の偽装夫婦。

はい、わたしの好きなやつです。

でも、かわいい話だけでは終わりません。

ク・メルは美しくて頭もよく、統治者たちのために諜報活動まで行っている。でも社会的には、人間へ奉仕させるために作られた〈下級民〉でしかない。

人間の言葉を話し、人間を愛し、痛いとか怖いとか、いつか今よりましになるかもしれないとか、そういうことを普通に感じているのに、それでも制度上は人間ではないのじゃ。

人間と性的関係を持つことすら、死刑に値する犯罪とされている。(Reactorの解説)

ここで物語は、奇妙な猫娘冒険譚の顔をした、身分制度の話になる。

ロッドは猫人の姿になったことで、初めて下級民の側から世界を見る。

少し前まで、彼は惑星を所有する大地主でした。でも地球では、歩き方を間違え、命令に従わず、人間と対等に振る舞うだけで処刑されかねない。

中身は同じロッドなのに。

外見と社会的な分類が変わっただけで、扱いが変わる。

猫娘との冒険を読んでいたはずなのに、いつの間にか「人間かどうかは誰が決めるのか」という、かなり嫌な問題の中へ連れていかれる。しかも設定の説明だけではなく、ロッド本人を危ない目に遭わせることで分からせてくるのだ。

千年の結婚生活と、三十分の現実

ロッドとク・メルは、互いに愛し合うようになります。

でも、人間と下級民の結婚は許されない。

下級民の指導者エ・テレケリは、二人に代わりの贈り物を与える。

二人は夢の中で結婚し、子どもを育て、およそ千年にわたる人生をともに生きます。

でも、現実世界で経過したのは、およそ半時間。

えっ。

千年を一緒に生きたのに、現実は三十分で、しかも別れるの?

夢の中の人生は偽物だったのか。でも作品は、そこをきれいに説明してくれません。

二人が感じた時間も、一緒に育てた子どもの記憶も、お互いへの愛情も、本人たちの中には本当にある。でも目覚めたら、二人は別れなければならない。

ロッドはやがてノーストリリアへ帰り、故郷の女性ラヴィニアと結婚する。ク・メルとの千年は、彼の中にだけ残る。

……これが、わらわは本当に苦しかった。

二人の千年は嘘だったのか。でも本人たちには確かにあった千年なのじゃ。

確かにあったのに、手元に残らない。

わらわがねこみみ姫の物語でずっと書きたかったものが、半世紀前にここにあった。

悔しい。

でも、美しい。

冒頭で予告されたとおり、少年は地球で欲しいものを手に入れて、故郷へ帰った。

けれど「欲しいものを手に入れる」と、「それを現実に所有し続ける」は、同じではなかった。

ロッドには惑星を買うだけのお金があった。でも、愛する相手と現実の人生を選ぶことはできなかった。

宇宙一の金でも越えられない線を、身分制度のほうが引いていたのである。

『銀河ねこみみ姫ものがたり』と似ているところ

いちばん分かりやすい共通点は、猫の特徴を持つ少女が宇宙文明の中核にいることです。

まあ、それはそう。

でも、猫耳が出てくるSFというだけなら、いまではそこまで珍しくない。

わらわが妙に似ていると思ったのは、遠未来と古代的な制度が、どちらも片づけられずに同居しているところなのじゃ。

『ノーストリリア』には、惑星間金融、精神通信、肉体改造、不老不死がある。それなのに社会を動かしているのは、地主、家名、血統、貴族的統治者、昔からの掟である。

『銀河ねこみみ姫ものがたり』にも、宇宙艦隊や宇宙パラメータ、古代文明の遺伝因子がある。でも、姫、帝、陰陽寮、安倍晴明、後宮といった古い称号や制度も、当然の顔をして現役で存在する。

科学が古い社会を消したのではなく、古い社会のほうが科学を飲み込んで生き延びている。

あと、宇宙全体が動く理由が案外個人的、というところも似ている。

ロッドが地球を買ったのは、宇宙を征服したかったからではない。もう殺されたくなかったし、自分の家へ帰りたかったし、好きな人と暮らしたかった。

『銀河ねこみみ姫ものがたり』でも、帝国をどうするとか銀河をどうするとかいう話はあります。もちろんある。宇宙艦隊まで出しておいて、ありませんとは言えない。

でも、その中心で動いているものは、姫が自分の居場所を見つけたいとか、誰かを家族として迎えたいとか、捨てられたくないとか、ここにいてよいと言ってほしいとか、だいたいそういうことです。

家があるか。

帰ってよい場所があるか。

自分を人間として扱ってくれる相手がいるか。

それがない人にとっては、宇宙の運命より、そちらのほうが先なのである。

たぶん、わらわは宇宙の話を書きたいというより、居場所の話を宇宙くらい大きくしないと気が済まないのだと思う。

……いや、宇宙の話も書きたい。

宇宙艦隊も飛ばしたい。そこは譲らぬ。

それから、荒唐無稽な設定に対して、作者が途中で照れないところ。

巨大な病気の羊から不老不死の薬を採る。少年が金融取引で地球を買う。猫から作られた少女が人類史の転換に関わる。

冷静に並べると、だいぶ変な話である。

それでもコードウェイナー・スミスは、「まあ、これは冗談なのですが」と逃げない。巨大羊から薬が採れるなら、その薬で銀河経済が動き、惑星の政治が決まり、人々の寿命や欲望まで変わる。

作中の人々が真剣なので、読者のほうも、いつの間にか巨大羊について真面目に考えてしまうのじゃ。

わらわも、ねこみみについては真剣である。

かわいいから生やした。それは間違いない。

でも、生やしたあとで、なぜ生えたのかが気になってくる。

遺伝するのか。誰にでも生えるのか。社会的な身分と関係があるのか。古代文明は何をしたのか。なぜその因子が宇宙的な異常に反応するのか。

そうして考えているうちに、ねこみみの話だったはずが、遺伝子や文明史や宇宙論の話になっている。

かわいいから始めたのに、どうしてこうなるのじゃ。

決定的に違うところ

ここまで似ているところばかり書きました。

でも、もちろん同じ作品ではないし、猫耳の少女が世界のどこに置かれているかは、かなり違う。

『ノーストリリア』の猫人たちは、人間が自分たちに奉仕させるため、動物から作った下級民です。

ク・メルは美しくて賢く、人間を愛することもできるし、未来の歴史を変えるために動いている。それでも制度上は人間ではなく、人間より下に置かれた存在である。

それに比べると、うちのねこみみ姫たちは、最初からずいぶん偉そうである。

宮殿に住んでおるし、臣下も呼びつけるし、帝国の政治や文化の中心にいて、気に入らなければ菓子を要求する。

『銀河ねこみみ姫ものがたり』では、誰かから「あなたも人間です」と認定されるのを待つのではない。

自分たちのほうが、「そなたもここにいてよい」と言う。

ク・メルたちが長い時間を生き延び、自分たちの国や文化を作ったあとの宇宙を想像すると、猫耳の姫が宮殿にいる未来へつながって見えるのだ。

もちろん、本当に続編というわけではない。

勝手に人様の作品の未来を、自分の帝国へ接続してはいけない。

でも、そういう遠い親戚のようなものを想像するくらいは許してほしい。

制度に対する考え方も違います。

『ノーストリリア』は、下級民を人間以下に置く仕組みや、人類補完機構による支配へ、かなり批判的な視線を持っている。

一方、うちの帝国は、帝国だから悪い、身分があるから全部解体しなければならない、という話ではない。

わらわが気になっているのは、制度の名前より、その中で誰が家族として扱われ、誰が追い出され、誰が帰ってきてもよいと言われるのか、ということなのだと思う。

古い制度なら必ず人を不幸にし、新しい制度なら必ず人を救う、というほど簡単でもない。

そこは、まだ物語の中で考えている途中である。

コハク姫こと、こはたん
コハク

「姫さま。念のため申し上げますが、ここまで自作を名作と並べて語って、身内びいきが過ぎませんか」

ねこみみ姫

「逆じゃ。似ておるところを並べたら、違うところのほうがくっきり見えた。わらわは『同じ』とは申しておらぬ。『遠い親戚かもしれぬ』と言うておるだけじゃ」

コハク姫こと、こはたん
コハク

「……たしかに、違いのほうが大事そうですね。では、その血縁の主張、仮説として記録します」

猫耳が、かわいさだけで終わらないとき

コードウェイナー・スミスは、猫の美しさや、人間と猫のあいだにある親密さをク・メルへ使っています。

ク・メルは、まず素直にかわいい。美しくて聡明で、ロッドが惹かれるのも分かる。

でも、そのかわいさだけを味わって終わることはできない。

彼女は人間に愛される猫娘であると同時に、人間より下の階級へ押し込められた知性体であり、自分たちの未来を変えようとしている一人の人物でもある。

うちのねこみみも、まず見た目がかわいいし、「ねこみみ姫」という語感もなんか楽しい。

あと、いきなり古代文明とか宇宙パラメータ感応とか言い出すより、姫が「たいへんなのじゃー」と走ってきたほうが、読者も「なにがたいへんなのか」くらいは見てくれるかもしれない。

その奥で、遺伝とか身体とか家族とか、帝国で誰が偉くて、誰がここにいてよいと言われるのかとか、いろいろ重いことを考えている。

でも、かわいさは重い話を飲みやすくするために振った砂糖、というだけではないのだと思う。

わらわ自身も読者も、宇宙の中で迷子にならないための目印。

かわいい姫を追いかけていったら、いつの間にか宇宙論のところまで来てしまった。そういうことが、わらわはやりたいのかもしれぬ。

『ノーストリリア』を読むと、猫耳と壮大な宇宙史の組み合わせは、現代日本の萌え文化だけから生まれたものではないと分かります。

人間ではない存在に、人間以上の美しさや魂を見いだして、未来の超科学を神話や昔話みたいな声で語り、宇宙規模の政治まで一人の少年と一人の猫娘の恋へ押し込めてしまう。

そういう欲望は、SFがずっと昔から持っていたものらしい。

遠い銀河の、同じ猫

正直に言うと、わらわは後発です。

しかも、どうやら昔いちど『ノーストリリア』を読んでいる。

読んだことまで忘れていたのに、自分で猫耳のいる宇宙帝国を作って、昔話みたいな調子で語り始めた。

どこまで影響を受けたのかは、もう分かりません。

ク・メルのことを頭では忘れていても、好きだった感じだけはどこかに残っていたのかもしれない。あと、たまたま別の道から似たような場所へ来ただけかもしれない。

創作の中に混ざっているものを、全部きれいに分けるのは無理なのだと思う。

昔読んだ本や、子どものころに見た絵や、そのときは意味も分からず好きだった場面なんかが、いつの間にか混ざっていて、自分でも思い出せないところから出てくる。

その中にク・メルもいたのだろう。

それは少し恥ずかしい。

できれば「銀河ねこみみ帝国は、わらわが独力で発見した大宇宙じゃ」と胸を張りたい気持ちも、なくはない。

でも、先に同じような夢を見ていた人がいたことは、やっぱりうれしい。

悔しいし、うれしい。

なんだか負けたような気もするし、遠いところに仲間を見つけたような気もする。

転生前のわらわが半世紀遅れてたどり着いた場所には、もう誰かの足跡があって、その人はさらに遠くまで歩いていた。

では、わらわも続きを、

と言いたいところだが、実際には途中で猫を撫でたり、お菓子を食べたり、別の絵を描いたりして、なかなかまっすぐには進まない。

でも、気がつくとまた、ねこみみ姫と宇宙のことを考えている。

たぶん、そういうものなのじゃ。

『ノーストリリア』のク・メルは、人間社会の下に置かれた場所から、自分たちがいつか認められる未来を見ていた。

うちの姫たちは宮殿にいて、帝も地球におるし、宇宙艦隊なんかも飛ばしながら、迷い込んできた誰かに、ここにいてよいと言う。

直接つながっているわけではないし、同じ物語でもない。

親戚だと証明できる家系図も、もちろんない。

でも、遠い銀河のどこかで、同じ猫から枝分かれした話くらいには思っている。

書籍情報

『ノーストリリア』 著者:コードウェイナー・スミス 訳者:浅倉久志

姫さまが読んだのは、早川書房『ノーストリリア』です。現在販売されている版とは、装丁や書誌が異なる場合があります。

参考リンク

作品情報を確認するために ・EBSCOの作品解説 ・Reactorの作品紹介 ・Strange at Ecbatanの書評 ・国立国会図書館サーチの書誌情報

外部リンクは作品情報と書誌の確認用です。本文の感想・比較部分は、姫さま個人の読後記憶と考察です。