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著者の実石沙枝子さんには、姫さまが主宰する文芸同人誌『TOKIMAKE』にご参加いただいています。
出版社や著者から依頼を受けて書いた記事ではありませんが、ご縁のある作家さんについての記事であることを、最初にお伝えしておきます。
これは、正確なあらすじを紹介する書評ではありません。
姫さまが『きみが忘れた世界のおわり』を読んだのは、数年前のことです。
細かな出来事や登場人物の言葉は、もうかなり忘れています。いま本を開かずに書けば、記憶違いもあると思います。
それでも、妙にしつこく残っているものがあります。読んでいるあいだ、女の子には生きていてほしい、とずっと思っていたこと。その願いが叶わなかったこと。そして、叶わなかったのに、読み終わったあとに風が通るような爽やかさがあったことです。
細部をかなり忘れてしまった今だからこそ残った、そのときの感情について書きます。
記憶からたどる物語
忘れている人の物語を、忘れかけた記憶から語る
『きみが忘れた世界のおわり』は、亡くなった幼馴染の記憶を失った青年が、彼女のことをたどり直していく物語です。
主人公の蒼介は、画家を目指す大学生です。
かつて事故に遭い、自分は生き残りましたが、一緒にいた幼馴染の明音は亡くなっている。そして蒼介は、明音についての記憶を失っています。
明音がどんな人だったのか、蒼介とどんな時間を過ごしていたのか。蒼介は周囲の人に話を聞き、残されたものに触れながら、失った記憶へ少しずつ近づいていきます。
物語には、死者である明音の視点と、蒼介の前に現れる「アカネ」という存在があります。
ただし、蒼介の前にいるアカネは、単純に「明音の幽霊」と呼べる存在ではありません。
蒼介が周囲から聞いた情報や、自分の中にある断片を材料にして形づくられていく、明音らしき像です。
本物の明音と、記憶から組み立てられていくアカネは、似ているようで同じではありません。そのずれが、読んでいるこちらにもじわじわ見えてきます。
この構造の正確なところは、ぜひ本編を読んで確かめてください。姫さまの記憶では、この「本人」と「記憶から作られた存在」の距離が、とても切なかったのです。
「きみ」と呼びかける声
この小説で印象に残っているのは、明音が蒼介を「きみ」と呼びかける二人称の語りです。
二人称小説には、ときどき独特の距離があります。
「きみ」と呼ばれているのは、物語の中の誰かなのに、読んでいる自分まで呼びかけられているように感じる。
すぐそばで耳打ちされているみたいなのに、もう二度と手が届かないところから呼ばれている感じもしました。
この本の「きみ」は、仲のいい相手を呼ぶ言葉なのに、もう埋まらない距離まで一緒に連れてくる呼び方でした。
明音は蒼介を知っているのに、蒼介は明音を忘れている。その一方通行の呼びかけが、近くにいるはずなのに、どうしても触れられない感じを作品全体に残していました。
人は、他人の中にいくつも存在する
蒼介は、自分の記憶を失っているため、周囲の人から明音について話を聞きます。
けれど、母親が知っている明音と、友人が知っている明音と、蒼介が知っていたはずの明音は、同じではありません。
明るくて、絵の才能もあって、蒼介とは幼馴染で、彼女は彼のことを好きだった――そんなふうに、語る人によって違う明音の姿が少しずつ重なっていきます。
けれど、情報をどれだけ集めても、それだけで本人を取り戻せるわけではありません。
誰かを思い出すとき、わたしたちが取り出せるのは、その人自身ではなく、自分の中に残っているその人です。
他人の証言をいくら集めても、その人の完全な姿にはならないことくらい、蒼介も、話を聞かせる人たちも、どこかで分かっていたはずです。それでも、もう会えない人のことを少しでも知りたくて、残された断片を拾い集めずにはいられない。
そっくり同じ姿には戻らないと分かっているはずなのに、もう少しだけ知りたい、あの人をここへ戻したい、と願ってしまう。その諦めきれなさが、この物語の切なさになっていたように思います。
「生きていた」ということになってほしかった
読みながら、姫さまはずっと願っていました。
明音が亡くなったという話は、どこかで覆されるのではないか。本当は生きているのではないか。最後には、蒼介ともう一度会えるのではないか。
そういう救済があるのではないか、と。
物語に現れる不思議な存在を見ながら、これは死者が戻ってくる話なのかもしれない、と期待していたのだと思います。
けれど、この物語は、死をなかったことにはしてくれませんでした。
失った人を生き返らせて、失う前の時間へ戻る。姫さまが望んでいたような形では、願いは叶いませんでした。
それでも、読み終わったあとには風が通っていた
願いが叶わなかったのに、読み終わったあとは不思議なくらい爽やかでした。
悲しくなかったわけではありません。
大切な人が亡くなったという事実は変わらず、過去をやり直せるわけでもありません。
それでも、物語が絶望の中に閉じた感じはしませんでした。
数年たって振り返ると、この作品は、死者にしがみつき続ける話ではなく、失った人をきちんと思い出し、その記憶を持ったまま先へ進む話だったからだと思います。
忘れることで生き延びた人が、思い出すことで、もう一度生き始める。
亡くなった人も、忘れられたまま取り残されるのではなく、その人の人生の中へ戻ってくる。
戻ってくるといっても、生き返るわけではありません。記憶される人になる。大切だったと認められる人になる。
そのうえで、別々の場所へ進んでいく。その別れ方が、悲しいだけではなく、どこか正しかったのだと思います。
姫さまが望んでいた救済とは違いました。けれど、物語が差し出した救済のほうが、ずっと誠実だったのかもしれません。
「世界のおわり」は、何の終わりだったのか
タイトルにある「世界のおわり」は、世界そのものが滅亡するという意味ではありません。
姫さまの中には、蒼介が生きていた「明音を忘れた世界」が終わることとして残っています。
明音を忘れていれば、失った痛みを直視しなくて済む。けれどその世界では、自分が何を大切にしていたのかも、自分がなぜ絵を描くのかも、どこか欠けたままになってしまう。
思い出すことは、傷つくことです。同時に、止まっていた時間を動かすことでもあります。
もう一つ、これは子供時代の終わりを描いた物語だったようにも感じています。
互いを自分の一部のように思っていた二人が、死と喪失によって引き離される。相手と自分が別の存在であることを受け入れ、もう同じ場所にはいられないと知る。
それを成長と呼ぶには、あまりにも痛い。それでも、人が生きていくためには、いつか終わらせなければならない世界があります。
正確な作者の意図というより、これは数年後の姫さまの中に残っている読み方です。
忘れたあとにも残る小説
本の筋は、時間がたてば忘れます。登場人物の名前も、場面の順番も、細かな仕掛けも薄れていきます。
それでも、読んでいたときに何を願ったかは、案外残ります。
『きみが忘れた世界のおわり』について、姫さまが覚えていたのは、
「亡くなったというのは嘘であってほしい」という願いと、
「願いは叶わなかったのに、なぜか爽やかだった」という読後感でした。
物語の内容を忘れかけてから、ようやく見えてくることもあるのだと思います。
姫さまにとってこの本は、失った人を取り戻す物語ではありませんでした。
取り戻せないと知ったあとで、その人を自分の人生の中に置き直す物語でした。
だから悲しく、だから爽やかだった。
明音が生きている結末を願っていた姫さまも、読み終わる頃には、少しだけ手を離すことができていました。
月の宮廷から
ご縁のある作家さんの本を、読了した姫自身が紹介しています。
実石沙枝子さんには、姫さまが主宰する文芸同人誌『TOKIMAKE』にご参加いただきました。
ご縁があるから作品を薦める、という順番ではありません。こういう作品を書く方だったから、ご縁を結びたいと思った。姫さまの中では、そちらが先です。
この記事は、正確なあらすじを知るためのものではありません。数年前に本を読んだ人間の中に、何が残っていたのかを書いた記録です。
作品の本当の姿は、姫さまの曖昧な記憶の中ではなく、本の中にあります。
「きみ」と呼びかける声が、誰に向けられているのか。忘れた世界が終わったあと、何が始まるのか。ぜひ、ご自分でたどってみてください。
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書籍情報
『きみが忘れた世界のおわり』
著者:実石沙枝子
版元、刊行形態、ISBN、姫さまが実際に読んだ版は、購入先の書誌情報でご確認ください。